旅が好きだ。
それも、ひとりであてもなく、街並みを覗いたり海を見て呆然とするような旅。部屋は基本的に相部屋で、旅先で友達を作って、一緒に出かけたりする。
この私の旅のスタイルができあがったのは沖縄だ。
ただ景色を眺めたり、トランジットの空港での長い待ち時間を過ごしたり、訪れた宿での出会いを楽しみに旅に出る。市場を覗いて買い食いするのもいい。
実際に見て感じなければ、本当のところの本質というものは見えないからだ。
未知のものを見て、未知のものの匂いを嗅ぐ。
それだけでいい。
それなのに、私の人生はあの日あの場所で変わった。
私には忘れられない朝がある。
アメリカ合衆国、NY。
英語も喋れない私が、初めての海外旅行に選んだ街。
一人旅だった。
初めての海外で、よく行ったもんだとは思うが、しかし何の偶然か、行きの飛行機での隣の席の女の子は、同い年の日本人で、彼女も初めての一人旅だった。
しかも、申し込んだ現地ツアーが一緒だという。
もちろん彼女とは仲良くなって、一緒に自由の女神も見に行った。彼女は英語が堪能だった。
泊まったのはマンハッタンの南にあるチェルシーという場所。
私は旅先では基本的にはドミトリーの相部屋を選ぶが、暮らすように泊まってみたい、と思い、アパートメントホテルを予約した。
高いビルの谷間の底のような、陽の光が届かなくて昼間なのに暗い場所に到着したイエローキャブ、その運転手にドキドキしながら人生で初めてのチップを渡して、私はマンハッタンの薄汚れたコンクリートを踏んだ。
アパートの玄関には赤い色で数字が書かれていて、エレベーターで目的の階まで上がる。
広い部屋には、オーナーのカメラマンのおじさんと、漫画家の女性、それから3匹の猫がいた。全員日本人である(猫はアメリカで生まれた猫だと思う)。
彼らの関係は知らないし、聞きもしなかった。
アメリカでは友人同士同じ部屋をシェアすることは常識だ。
アパートは壁一面、いろいろなガラクタが積まれていた。高い天井に届きほど、アンティークの置物や器やカップや、よくわからないとにかくいろいろなもの。元々広い部屋を仕切って何部屋かに分けているようで、通路は迷路のようになっていた。
ガラクタは部屋にもたくさんあったが、天井が高いのと部屋が広いので気にならなかった。
冷蔵庫とタンスとベッドど、広いソファー。元々は二人用の部屋だった。窓は上にスライドさせるタイプ。開けると摩天楼に囲まれて空を刺すかのようにそびえるエンパイア・ステート・ビルが見えた。
何故NYに行ったのかというと、恥ずかしながら好きな映画の影響だった。
写真家の映画である。
だから私は、その映画に出てきたのと同じカメラを買った。CanonのF-1。真っ黒で重い、スチールの一眼レフ。カメラというより写真機と呼んだほうが似合うかもしれない。一昔前まではプロ用のカメラだったのだが、すでに生産はされていないので、新品では売られていなくて、新宿のカメラ屋さんで中古で5万だったと思う。箱や説明書も全て揃った、最高に保存状態の良いカメラだった。単焦点のレンズは2万程。それからデジタルの一眼レフも持って行った。
その頃私は漠然と、写真家になりたいと思っていた。東京の写真学校にも働きながら通っていた。プロコースに進むかどうか悩んでいた時期だった。
だから、部屋のオーナーが写真家だと知って偶然に驚いた。
アパートの別の部屋はスタジオとして使われているらしかった。隣に滞在していた日本人の女の子も、モデルとして活躍したくて来たのだという。
赤い唇が印象的だった。
私はマンハッタンに躍り出て、好きなように歩き、好きなようにシャッターを下ろした。黒いカメラのファインダーから覗くNYは何もかもが真新しく、生命力にあふれ、少しの恐怖と喧騒にあふれていた。
夏のNYは暑い。気温は華氏で表示されるので80度や90度という数字に毎回ドキリとする。
カメラに汗を滲ませながら、マンハッタンの隅から隅まで歩きまわった。
メトロポリタン美術館の騎士たちの隊列。中央アジアの古い像の優美な腰つき。
自然史博物館の完璧に揃った恐竜の骨格標本。
ハーレムの黒人の画家、ゴスペルが響く教会。
セントラルパークのストロベリーフィールド。
エンパイア・ステート・ビルから見たマンハッタンの街並み、それを見下ろす鳩たち。
トップ・オブ・ザ・ロックからの夜景。
タイムズスクエアで裸にペイントして立つ有名な女性。
ブロードウェイミュージカル。
チャイナタウンで売られていた大量の生きたカエル。
スパイダーマンが飛んでいそうな摩天楼。その底のイエローキャブ。
でこぼこのアスファルトに落ちたプレッツェルを啄む鳩やスズメ。
憧れのチェルシーホテル。
それから、穴のあいた世界貿易センタービルの跡地。
ここで暮らせば一生退屈しなくて済むかもしれないというくらい、そこは世界の中心だった。
チェルシーの宿はちょうどいい場所にあって、歩き疲れたら宿で休んで、また外に繰り出せる。
この宿で飼われている猫がユニークだった。
不思議なことがあった。
1日目の夜に部屋にいると、鳴き声がして、ドアを開けると痩せた小さな猫がいる。私の顔をまじまじと見て、驚いた様子で、中に入りたいのかと声をかけたけれど、去っていった。
二日目の夜にも、彼はやってきて、やはり私の顔をじっと見て、去っていく。
三日目の夜には現れなかった。
あとでオーナーに聞くと、「俺だと思って部屋に行ったんだな。あいつは頭がいいから」とのことだった。
はち切れそうなお腹のまんまるな猫と、どうしても隠れてしまって姿が見えないもう1匹の猫。この子たちは、同じ部屋に暮らす女性が漫画にして本を出している。
日本では名の知れた女性だ。もちろん帰国後その漫画を買った。部屋の猫たちや私が街で見かけた猫のことも描かれていて、懐かしかった。
オーナーは親しみやすい小柄なおじさんで、漫画では「野人カメラマン」と書かれていた。なるほど確かに無精髭を生やした姿は野生的である。
最後の夜。写真学校に通っていること、プロコースに進もうかどうか悩んでいることを話した。
今しかできないんだからやったほうがいいというのが彼らの意見だった。
ニューヨークに住む芸術家は、はっきり言って、何でもする。自分の才能を世に知らしめるためには、何だってする。
アパートのトイレには一面絵が描かれていたが、それも近くに住むアーティストが描いたものらしい。
モデルになりたくて。写真家になりたくて。絵描きになりたくて。
彼らは、まだ何者でもないが、何者かになろうとしている。
その頃私のCanon F-1には細いストラップしかなくて、それを見かねたオーナーが、しまい込んでいたCanon 5Dのストラップをくれた。
私のF-1に5Dのストラップがついているのはそんなわけである。
ついでにアンティークのカップやバッグもくれた。ガラクタの片付けの片棒を担がされた感が否めない。
明日発つのか。
じゃあ、朝一緒にコーヒーを飲もう。
オーナーが言ってくれた。
帰国の朝。野人カメラマンと一緒に角を曲がったところのスターバックスに入った。
シナモンスコーンとコーヒーを注文した。
テーブルの上には、オーナーのフルサイズの一眼レフカメラと、私のF-1が並んだ。
いいカメラだよ。F-1を見てそう言ってくれた。
やりたいことは全部やりなさい。
私のそれからの人生をある意味狂わせた言葉は、そこで登場することになる。
それから私はプロコースに進んで、いろいろなことが重なって写真家の道は諦めた。まあ、度胸がなかったとも言える。何でもする、が私にはできなかった。それだけのことだ。それでも写真の技術とF-1はまだ手元にある。
(面白いことに、いろいろと学んで撮った写真よりも、知識もないまま撮ったNYでの写真のほうが、生き生きとしている。)
カナダに留学して、英語が話せるようになり、東南アジアを旅した。
やりたいことは、全部やっている。今はまだその道の途上である。
あの宿はもうない。
それでも、あの朝のシナモンの香りとコーヒーの熱。まるでフィルムに焼き付けたように。
いつまでも消えない。
それがあの旅のすべて。