インドに行けなかった。
世界中で蔓延する感染症のため、更新したばかりのパスポートは、ひとつのスタンプも貰えないまま、タンスの中で拗ねている。
インドに行こうと思ったのは、6、7歳のころ。
藤原新也のメメント・モリに触れた時から。機会を伺い、ようやくそのチャンスが巡ってきたのに、私はそのチャンスの後ろ髪を引っ張ることすらできなかった。
インドに選ばれなかったのだと思っている。
選ばれなかった私は、日本で今ここで、再びあの写真集を手に、数ページで泣いた。
行きたかったあの世界など、パスポートでは行けないと悟ったからだ。
いわば、私はその縁にたしかに立っていた。
火曜日の明け方、17年生きた猫が死んだ。
前日の夜には動けなくなり、呼吸は早く、反応はなく、経験からもう数時間の命だと悟った。
もういいよ。苦しむ彼に、家族でそう声をかけた。もういいよ。ありがとう。もういいよ。
朝になったら、すでにそこにいのちはなく、硬直しつつもまだ温かい体を家族でかわるがわる抱き、撫で、そのとき私は初めて泣いた。
呆然と過ごしたため火葬場への電話が遅れ、結局、死んだ次の日の昼に予約が取れた。
先に死んだ猫たちと同様、庭に埋めるつもりだったので、骨壷は断った。
彼の匂いをめいっぱい吸って、私たちはそうして小さな体を見送った。
一時間もかかった。
一時間しかかからなかった。
一時間後に再びそこに行ったら、白い骨しかなかった。
骨のひとかけらまでもが可愛く、愛おしいなんてことが、あるのだ。
日曜日。友人の友人が死んだ。
面識はなかったが、ずっと病状をそばで聞いていたので、悔しさと悲しみと隣りあいながら、一緒に電車に揺られた。
苦しんだのだという。
お別れは、言えなかった。
もういいよも、ありがとうも、言えなかったという。
ただ涙するしかできない私は、
何様だとおもう。
インドにも選ばれなかったくせに。
ガンジス川の、一滴にさえ、触れられなかったくせに。
いのちのくせに。
残されることの意味を、問いかけることさえ恐ろしいくせに。
死にパスポートはいらない。
こころがそれを選びとる。
いのちはたかだか60ワット三時間の輝き。上出来だ。闇をそれだけ照らせれば、それでいい。
私は私の生命線を生きる。ときには顔のない人間になって、
それでも呆然とコーヒーなど飲みながら、傘に当たる雨の音を聞きながら、世界地図とにらめっこしながら、高架下を歩きながら、あの子のひとかけらの愛しさをふいに思い出せたら、
きっといつか、こころがそれを選びとる。